お寺でお経を聞いて悟ってみた。

法事で、お寺でお経を聞いてて思ったこと。
よく言う、「無心」になるとはどういうことなのだろう?


心を無にして、何も考えないことだろうか。
しかし、ある問題にぶつかった時に、何も考えない状態になったとして、解決策がふっと浮かぶとは思わない。
前に進むためには、思考は止めてはダメなのではないか。
では、何を無にするのだろう。
煩悩を無くすのか。
煩悩とは?
我とか私欲とかあるかもしれないが、ある問題に関与している複雑な状態ではないだろうか。
そこから無駄なものを取っ払って、シンプルな考えを以て答えに辿り着くことだろうか。
そのシンプルな考えの芯となるものが、仏教では悟りかもしれないし、物理では方程式なのだろう。
自分の芯となるシンプルな考えを持つこと。
複雑な問題にぶつかった時は、その芯に従い、答えを導き出すこと。
これが「無心」ではないだろうか。